小鳥の思い出:5回の年越し、奇跡的な日常の連続。
うちのかわいい小鳥がなくなりました。
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小鳥の思い出:5回の年越し、最後まで私には馴れなかった君。
この小鳥がうちにきたのは、2015年の9月でした。
その前の小鳥がなくなってから1年くらいたってからのこと。
マイシスターは一緒に住む前から小鳥を飼っていて、初代小鳥は彼女と一緒に東京にきて私と住み始めたのです。
そして2014年の9月になくなった。
しばらくはペットはいなくて。
そして1年後の9月にこの子が来たのです。
この子は生後1週間ぐらいにうちにきて、そこからマイシスターが親代わりにせっせと餌をあげていました。
まだ羽も生えそろってなくて、ずっとピーピー鳴いていて。
(ヒナだから当たり前)
二匹いたのです。最初は。
そのうちの1匹は10日くらいしか生きれなかった。
そして一匹だけになったのときは狂ったように鳴いていました。
マイシスターと、やっぱりいなくなったのがわかるのねと話したことを覚えています。
とにかく私には馴れない。
まったく。
私がいると全然巣から出てこない。
毎日お掃除するのでそのときがエクササイズの時間。
小さいボールや、リップクリームを蹴飛ばして、どこか見えないところに隠したら終了、次の獲物、という「小鳥サッカー」を延々とやっていました。
そして私が写真撮ろうとすると、速攻で巣に駆け戻っていった・・・。
飼い主(シスター)がいないときでも、警戒心が勝ってなかなか出てこないときもあった。
(ほとんどそれ)
ごきげんなときは、ヘッドバンキングして。
命あるものは必ず逝く。
ペットはどうしても人間より短命で、過ごす日々が日常だと思っていたけれど。
日常ではなく、一緒にいることは奇跡のような時間だったんだと気づく。
9月の私は泣いてばかりです。
5年前の私は、仕事に疲れ果てて、心は麻痺していたから、何も感じることはできなかった。
泣くという感情がこんなに苦しいと思い出しました。
まとめ
で、今、泣き疲れて、島倉千代子の「人生いろいろ」を聞いている。
沁みるなーーー。
沁みすぎ・・・・。
笑い話に涙がいっぱい・・・・かぁ。
私がこの子に触れたのは今日は初めてだったかもしれない。
もう息をしていないこの子に向かってどんな言葉を言えばいいのかわからない。
またね。
おやすみ。
ありがとう。
さようなら。
やっぱり、、、ありがとう。
Cry.
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