ときどき感じるロンリネスの救い方、または人生の意味を見つける旅の途中。
ボイスチャットでの話題の話を少しだけピックアップ。
広告
ときどき感じるロンリネスの救い方、または人生の意味を見つける旅の途中。
曰く、人生に意味はあるのか。
曰く、寂しいと感じるときがある(ロンリネス:ここで出てきた)
人生って何?
みたいな、そんな話をね、英語のボイスチャットでやっていた時の話。
あちらが夜だったり、こっちが夜だったり朝だったりで、時間の感覚がおかしいので
喋っているほうのテンションに影響されます。
時々攻撃的な人もいるけど(どうも中東の人らしい?でも多分怒っているんじゃなくてそういうしゃべり方をする人?)
しんみりする夜もある(私のほうは朝)。
そんな時に話したこと。
自分のためか、誰かのためか?
承認欲求とは違うのだけど、結局自分のためにいろんなことをやっても
やっぱりどこかで虚しさを感じてしまうよね、ということを話していて。
だったら他人、他の人、だれかのためにやったら、なんかちょっと嬉しいよね。って話になった。
誰かのために何かができるとき、人は満足感を感じるのかもしれない?
いや、私は違うと思うなー。
多分、「ありがとう」という言葉を誰かに言われたときに、ちょっと張り詰めた気持ちが緩むような、
そんな感じが満足感につながるのではないかと。
だから結局ひとりで何かしているときは、何の反応もないからそのあたりの気持ちがマヒしている。
そしてだんだん気づかなくなってしまうのかもしれない。
それにしても英語は奥が深い。
日本語にしようとすると破綻しそうな文もあるけど、日本語では難しいときもある。
そんなこんなで語学は面白いです。
意味がわかるともっと面白い。
今は知っている単語を拾い集めて推測しているのが本当のところかな。
だから背景とか習慣が違っている場面では全く意味がわからない。
そんな状態で、ロンリネスを抱える夜の話をしたら。
まぁ簡単な単語で自分以外の人のために何かをしたらそのさみしさは満たされるのかも?という結論に。
そうやって少しずつ満足なことを集めて、人生に意味を見出すのかもね!
以上だ。
広告