私のやりたいことを既に実現している人がいる【フィリピン語学留学してみたい】
やりたいことが沢山あります。
そして、私のやりたいことを既に実現している人もいます。
「やりたい」と「既に実現している」の差について考えてみた。
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きっかけはこの記事
サウスピークの留学の結果のことを書いている人。
・フィリピン留学なんて必要ない。大人の短期留学ライブ記録 4週目を終えて。
しっかりと4週間の留学中の話もブログ記事にしていて、結果の「必要ない」は、アレだけど、それでも行ってみたいと思うのは、あれだな。
環境を変えたいだけなのかもしれない。
日本でも出来ることは沢山あると思うし、今のまま留学しても、効果はないだろうって思っている。
だって、基礎が全くできていないから。
でも、でもでも、と思う私がいる。
私もやりたいと思っていた
私も行きたいと思っていた。
ずっと思っていたし、いつか、と今も思っている。
この「いつか」が問題で、いろいろなの条件を自分でこしらえてしまうのだ。
TOEICで何点とったら。
お金がそんなにかかるなら、今は、やめておこう、とか。
この時期は、辞めておこう。
世界情勢が、、云々、やらない理由は沢山でてくる。
条件って何のための条件なんだろう。
何が違うのだろう
「やりたいと思っている私」と「既に実現した人」との大きな違いはなんだろう。
お金の問題?
時間の問題?
環境の問題?
やる、やらないの単純な問題?
どれもあてはまっているようで、どれも違うような気がする。
ただ、私は、「ずっとやりたいと思っている」わけで、実現したいと思ってないかもしれないということに、うすうす気づいている。
気付きたくなかったけれど。
「やりたい」と「やる」の壁
「やりたい」は、一種のリップサービスのときもあり、自分の本心ではないかもしれないけど、それも願望の一つ。
ただ、本心ではない場合、叶うこともなければ、叶えようと努力することもない。
故に、絶対に「やらない」。
「やる」の場合は、「やる」以外の選択肢がないので、迷いが生じる隙間もない。
迷いは、隙間に生じるのか?
というと、隙間ってなんだ?になるけれど、この場合の「隙間」は、暇な時間と読み替えてもいいかもしれない。
そんな「時間」は、情報集めているかもしれないし、何か、つながることをしているかもしれない。
「つながること」!
ずっと「やる」に「つながっている」わけだ。
まとめ
とはいえ、「やりたい」は、「やりたい」であって、このままきっと、WishListからは外すことは出来ない。
本当にやりたいのは、多分「環境」が欲しいんだろうなぁと思う。
それ以外、何もしたくない、という願望なのかもしれない。
ならば、ちょっとだけ頑張ってみようかなーっていつも思っている。
以上である。
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