この日を覚えている。1月17日
23年前のこの日、私は東京にいた。
過去の思い出は、小さいころのこととか、覚えていることは少ないのだが、時々ものすごく鮮明に覚えていることがある。
この日もその一つ。
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この日を覚えている。1月17日
頭痛が酷くて、その日は会社を休もうと思っていた。
なのに、朝、目がさめて、テレビをつけて、、、、絶句。
何が起きたのかと。
そして、一日中テレビを見ていた。
次の日、会社に行ったら、神戸出身の人が、家族との連絡を取るのに、社内の内線から、支社(外国)を通して国際電話で安否を確認したということを同僚から聞いた。
その彼女は、肉親のところに行くために、いろいろ持って、そのまま行ってしまう。
そして、仕事は、こっちはこっちでなんとかしないといけないということになって、、、、。
実は、このヘンの仕事のことは何も覚えていない。
多分、なんとかなったんだと思う。
このとき私がいたのは、外資系の会社で、外人さんも沢山いる会社だった。
私は、「英語できません枠」に、システムとして配属されていたので、日本の会社とは違うことも多々あり、戸惑っているところだった。
で、思ったこと。
家族のことなら、どうやら、会社は、ゆるいらしい。
「ゆるい」という表現が適当なのかよくわからないけど、電話での安否確認は、どう考えても私用だし、周りが「使えるものならなんでも使え」的なことで、協力してできたことだったから。
ここが、日本の会社とは本当に違うなぁと思った。特に私の入った会社からすると、そんなことはまったく関係なく、仕事のことに注力しろと言われるだけなのに、こんなにも外資系は違うのか、と思ってしまった。
もうひとつ。
あの日から全く連絡の取れない友人がいる。
音楽仲間であり、ペンフレンドでもあった彼女は、その前の年から忙しくなって私との交流が途絶えていて、そろそろ手紙書かなくちゃと思っていたときだった。
年賀状の返事は書いていたような気がするけど、よく覚えていない。
でも彼女がどうなったのか、未だにわからない。
元気で過ごしていればいいな、と思う。
あれ以来連絡は取れていない。
まとめ
彼女のこと、あの日のこと。
覚えていることは、あの日のあわただしさ。
そして、頭が痛かったこと。
そしてまた、日常に呑まれていったこと。
感情がマヒしているような、そんな感じ。
それでもやっぱり、覚えている。
以上である。
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